荒瀬かだまり について

 昔の話、荒瀬村は現在の大阿仁を含む広大な地域だった。行政の中心地であった荒瀬本村(現在の荒瀬集落)から、南側の地域までは相当な距離があり、今と違い車や内陸線が無かった当時は、議会や届け出行政に相当な移動時間を要していた。それが不便過ぎるという理由で、村役場が地域の中心部、鳥坂に移転されたのが1936年(S11)、それと同時に荒瀬本村はすぐ隣の阿仁合町へと統合され、荒瀬本村以南の荒瀬村は大阿仁村と改称された。

 阿仁合町(鉱山で栄えた商業の中心地)から見たすぐ隣にある荒瀬の人たちは、おそらく気位高く「阿仁合町何するものぞ!」的な対抗心もあったものと思われる。

 今とは違った距離感もあった地域同士、団結心あって対抗意識むき出してくる荒瀬の人たちを、「荒瀬かだまり」と揶揄し、同時に羨望もして呼んだのだと想像します。その当時の先輩たちの心意気に敬意も込めて、また薄れている“団結“した取組みへの期待を込めて、あえて“蔑称“を団体名としてみました。

露熊プロジェクト TSUYUKUMA PROJECT

秋田三十景の景勝地として知られていた北秋田市荒瀬「露熊山峡」を地域住民の手で復活させるプロジェクト