秋田県観光三十景 その2
観光秋田三十景の「露熊」
昭和27年5月15日、秋田魁新聞社が “「観光秋田新三十景」県民の投票できめる“ の記事を掲載した。翌6月15日を期限として、本紙刷込みの投票用紙で全県で投票を求め、なんと百九十五万票という当時の県人口をはるかに上回る得票を集めて三十景は決まった。その1ヶ月の間、入賞を目指す各地の熱狂の様子が何度も紙面を賑わしている。当選にあの手この手、立て看板や横断幕、繰り出す宣伝隊、校長会にも依頼、追い込み戦猛烈、等々激しい競争の様子を感じとることができる。
昭和27年(1952年)、ときは高度経済成長が始まるその頃。観光業で地元を盛り上げよう、この「観光三十景」を起爆剤にしようとした県内各地の思惑が感じられる。良くなっていこうとする社会の勢いを感じる。我が先輩が獲得した52,912票で、「露熊山峡」は堂々の11位に輝いた。以前ほど人は訪れてはいないのだろうが、他の観光三十景は今でも景勝地として名を残している所ばかり。
ノスタルジアが発露となって始まった「露熊プロジェクト」なのだが、この活動が当時の獲得競争に負けない景勝地の“保全競争“にでもつながってくれたら…などと夢みた当時の記事の拾い出し作業となった。小さな地域の「良くなっていこう!」とする勢いがあれば、小さくても持続していければ、環境は変化したのでそれに“対応“していける活動であれば、それを小さく長くやっていきたい。
ーーー 秋田魁新報 昭和27年6月20日「社説」よりーーー
本県観光三十景の決定
一、
本紙面を通じ、読者の手によって県観光三十景をえらんでもらおうとの計画が発表されてから一ヶ月、全県的な人気がわきたち各郡市ともに熱心な運動が展開されてきたが、遂にその結果があきらかになった。本紙読者の手による新たな観光三十景は、これからあといよいよその装いを新たにして世の人々に見える絶好の機会をつかんだわけである。当選した三十箇所に対して心から祝うことはもちろん、惜しくも選にもれた多くの観光地も今回の当落にこだわらず今後の発展に努力するであろうことを思うとき、これまた発展への転機を得たことを祝福したい。
また、新たな観光地を世に出そうとする県民熱意によって、百九十五万を超える投票数をえたことは一方で新聞が本県民の要望にこたえるとともに、一方では一体となって県の前途をきりひらこうとの県民意思が結集したもので、これまた大なる意義がある。
二、
このたびの投票によって候補地として登場した観光地は、百九カ所におよんでいる。その一つ一つが、将来の観光秋田を大成する大切な要素である。何れも独自の個性と特長をもっているのであるが、その特質を発揮しつつ相互につながりをもち県全体としての総合的な観光に構成される希望の土台がはっきりしたことは、本県として大きな収穫といわねばならない。このことは、観光事業を単に消費的な享楽的な面からのみ理解するのであったら、まことにとるにたらぬ理屈であると葬られるだけである。しかし観光事業の堅実な資源面をあわせ考え、県民生活の向上を期する面から綿密にそろばんをたて、あるいは文化価値を検討するなら、日本でも指折りの貧乏県である本県としては、当然真剣に○出さねばならぬ仕事である。県民最大の欠点である引込思案が、観光事業の短所のみをみて手あぐらをかく傾向にあったことを反省すべきだ。
三、
このたび、三十景を観光の対象としてえらび出す運動を展開した理由の一つとして、各町村郡市における愛郷心の目ざめということがある。自らほこるものを持つなら、これは天下の人々に鑑賞してもらうのが本当である。あたら宝をせまい天地で埋れさせておくべきでない。愛郷心とは、自分の持つ名所旧跡、民族等のすぐれたものをより洗練しもっと価値の高いものにする内面への努力と共に、多くの人々に愛される工夫がともなうはずである。今回の観光投票がきっかけとなって、各種の修理道路交通機関の整備、宿泊施設の充実、案内説明、名物など各般にわたっての計画と実行がすすめられることを期待したい。不幸、今回の選にはもれたが、実力は入選観光地よりも上だと自認する土地においては、なおさらのことである。
四、
このたびの成績をみるに、第一位の男鹿半島は南秋の組織的な動員が功を奏したものであり、秋田市のこれにたいする応援も見のがしえない。北秋、由利、雄勝等はとくにすぐれた成績をみせている。秋田市は、男鹿に応援したというもののわずかに仁別が気を吐いたにとどまり、他郡市から喰いこまれてふるわなかった。この動きは色んな意味で話題や問題を生んでいる。ただこれが機縁となって秋田市と男鹿をむすぶ観光道路の整備という目的が達成されるなら、また問題は別である。男鹿では関係十町村が観光ホテルの建設に乗出すとつたえられている。こうした建設的な実行と熱意があらゆる観光地にもりあがる気配がみえる。すぐれた数々の素材をもちながら、これまで観光地としての活用におくれた本県も県民自身によるこのたびの運動によって、大いに脱皮することを心からのぞむものである。
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