露熊炭鉱(荒瀬炭鉱)跡へ2回目の探索
2022.10.20 thu
露熊プロジェクトの最年長メンバー、中島勇さん、斎藤一雄さんと共に露熊炭鉱(荒瀬炭鉱)跡への探索に行ってきました!
昨年10月14日の露熊プロジェクト作業後に訪れてから2回目の探索になります。(前回の露熊炭鉱跡探索の様子はこちら)露熊炭鉱は昭和35年まで操業されていた炭鉱で、かつては阿仁鉱山の製錬用として使用されていました。
中島勇さんと斎藤一雄さんの2人は81歳、荒瀬小学校からの旧知の間柄です。中島さんは露熊の出身で、お母さんがこの露熊炭鉱の選炭場で働いていたことから子供の頃に何度もこの炭鉱に遊びに来ていたそうです。斎藤さんは荒瀬出身、親戚の叔父さんが露熊炭鉱の社宅に住んでいて子供の頃に遊びに来たことがあるそうです。2人とも子供の頃に確かに歩いた山道を一歩一歩、思い出すように歩いていました。
当時の露熊炭鉱地図を手に約3時間かけて選炭場跡、貯水池跡、神社跡、事務所跡、社宅跡などのほか、本坑坑口、一坑坑口まで見つけることができました。残念ながら本坑坑口も一坑坑口も土砂と水によって埋もれてしまっていて、坑口そのものの姿を見ることはできませんでしたが、この場所に確かにあったということは確認できました。次回はスコップと水の吸い上げ用ポンプを持参して土砂と水を撤去して本坑坑口、一坑坑口の姿を目にしたいと思います!
選炭場跡にて。斎藤一雄さん(左)と中島勇さん(右)。荒瀬小学校からの同級生で、今でもとても仲の良い2人です。
沢に沿って歩いていく中島さんと斎藤さん。
選炭場跡。選炭作業は主に女性たちの仕事だったそうです。
貯水池跡。
沢に降りたり登ったりの山道をぐんぐん進んでいく2人。80代とは思えないほどの身のこなしです。
神社跡に転がっていた木材。鳥居のような形のものがありました。
木材にはくさびのような加工がされていました。
土砂によって埋もれていた本坑坑口。手前には古い電気器具(がいし)が落ちていました。
社宅跡。この場所に平家の社宅が2棟建っていて、炭鉱で働いていた社員やその家族などおよそ30名ほどが暮らしていたそうです。
一坑坑口には水が貯まっていました。坑口付近だけが深くなっていて深さはおよそ1m20cmほどありました。
一坑坑口の付近に落ちていた石炭。
露熊炭鉱(荒瀬炭鉱)平面図 提供:松岡勇さん
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